【外壁塗装をDIY】還暦記念、古希記念の奮闘記 第一話


執筆者:Y,N

はじめに

2017年10月現在、私は72歳になる老人です。
たちの悪いことに、自分では老人と思っていない節があります。
精神年齢が極めて若く、40代に近い年齢だと錯覚しています。

また、肉体もまだ若いと思っています。
今日まで病気知らずで生活して来られたからです。
今までに一度も大病や手術、入院を経験したことがなく、薬さえ飲んでいない状態を持続しています。
私の体力を何かの計測器で計ったわけではありません。
しかし、人に対して愛のない自慢話となるので、自分の精神年齢や健康状態などについては、自分からは直接人に話せません。
ですから、とても隠居などはしておられません。
まして最近では、「隠居」という言葉自体、あまり聞かれなくなりました。
実質は、それに近い方もおられますが、ほぼ死語となりつつあります。

現在の日本は、65歳以上の高齢者が国民の4人に1人とか。
年金問題を考えると、1人の高齢者を3人で支える格好となっています。
騎馬戦で、1人が馬になり後の3人が両足を支えるために脇に付く。
近い将来では、その2人がいなくなり、1人の馬役で1人の高齢者を背負う形になるとも懸念されています。
高齢者顔をしていることに気が咎(とが)め、罪悪感さえ抱いてしまいます。
健康体であるなら、なおさらです。

私にできることはたくさんあります。
ただ、いくら人手不足とはいえ、65歳を過ぎるとなかなか企業に雇ってはもらえません。
まして、70歳を過ぎると、もう相手にしてもらえないことがほとんどです。
自分としては、まだまだ役に立ちたいのに…。
ですから、せめて「自分でできることはやる」の心構えでいます。
「誰か相手にしてくれないかなー。仕方がない、一丁、壁塗りでもやるか。」

外壁塗装を自分でやろうとした理由

会社勤めのときには出来なかったことをやりたかった

そんな私が、初めて自宅の外壁塗装を自分でやろうと思い立ったのは、59歳くらいのときだったと思います。
その時、私はもう少しで定年を迎えるので、その記念に会社勤めのときには出来なかった何事かをやりたいと考えたのです。
そこで、「何がよいだろう、ちょっと大きめの旅行か、あるいはカルチャーかボランティアか、地元にある湖でのカヌーか、または故郷・滋賀へ戻っての戦国歴史の研究か」などと、色々考えてみました。
しかし、年齢的な条件から年金も一部しか支給されない現実もあり、この先仕事をすっぽりと止めてしまうことは考えられなかったのです。

そうした継続的な趣味や趣向は、いったん棚置きにすることとしました。代わりに、以前から一度はやってみたいと考えていた、「自宅の外壁塗装に挑戦する決意」を抱いたのでした。
「決意」とはちょっと大げさですが、犬小屋を塗るのとはわけが違います。
30坪近い大きな建物を初めて塗装する。
しかも、塗装業者への発注を金額に換算するなら、70~80万円にも相当する、そんな大層なことを自分で行うわけです。
さらには、高所恐怖症(そのため未だに一度も飛行機に乗ったことがない)の私が、外壁塗装をたった一人でやるには、それなりの「決意」なり決心を要したのでした。

2業者に依頼して後悔した

DIYでの外壁塗装を決意させた要因は、他にも色々ありました。
以前塗装業者に依頼した外壁塗装では、屋根の南に位置する切妻破風の塗装が、仕上がってわずか2~3年後で色が変わり剥げてきてしまったのです。
変わり果てた我が家の外壁を見ていて、不安で辛く残念な気持ちにさせられたことでした。
仮に、そこだけ自分が塗り直すとしても、場所が2階の屋根先ですから、高い所に弱い私にハシゴだけではとてもおぼつかなく、忸怩(じくじ)たる思いをさせられたことでした。
もし、塗り直しを自分でやるなら、水性ペイントではなく耐久性の高い油性のペイントを入手する必要がある。
そして、単なる2度塗りでなく、最低でも5度は塗り重ねる。
それだけ塗れば、外壁が剥がれる状況は防げるに違いないと考えたからでした(後にその考えは見事に的中しました)。

3経費の節減

そして、自分でやろうと考えた最大の理由は、他ならない「経費の節減」でした。
当時は、我が家の住宅ローンはすでに終えてはいたものの、教育費のかかる20歳前後の子どもが3人もいました。
また、貯金額も心もとなく、頼みにしていた退職金も予想よりはるかに少ない金額でした。
そのため、まとまった外壁塗装の予算の捻出は、望める状況ではなかったのです。

4自分で外壁塗装をしたご近所さんへの嫉妬

もう一つの大きな理由がありました。
それを語るには、自分の人間臭さや人格の低さを暴露するようで非常に恥ずかしいことなのです。
しかし、それを隠ぺいしたままで真実を語ることはできませんので、あえて白日の下にさらけ出させていただきます。

何事も決意するに至るには、いろんな動機があることなのです。
しかし、とりわけこのことは、DIYでの外壁塗装を実行させる強力な引き金、起爆装置のような働きを示すことになったに違いありません。
というのは、我が家の2軒背後の家のご主人が、自宅の金属屋根を自分で塗り直すという快挙に出たのです。
そのことは、近所でたちまち評判になり、それを行なったご主人の株は急上昇してゆきました。
近所の人々みんなが「〇〇さんのご主人偉いわねー」と絶賛し、私の妻までが気のせいか同じセリフを私に聞こえよがしに投げかけてきたのです。

私の心には、いつの間にかご主人に対する競争心がもやもやと、そしてめらめらと燃え上がってゆくのを感じたのです。
つまり、嫉妬心でした。
見るとそのご主人は、足場も架けず命綱さえもせず、ただズボンのベルトの背後に細いロープを一本だけ結び付け、もう片方の先をテレビのアンテナの基部に結びつけただけの、簡単な安全対策のみでした。
屋根の勾配とは真逆に足を上方へ伸ばし、頭を軒先に向けた腹ばいの危ない格好で、刷毛を片手に塗装を夢中で行なっていたのです。

私はその光景を見て感嘆するとともに、再び強い対抗心また競争心を増幅させる結果となったのでした。
「自分も負けたくない、負けてはいられない、むしろ勝ちたい、そして近所の人たちや妻を、あっと言わせたい。
さらに称賛されたい、また子どもたちから尊敬されたい、だから自分もそれに勝るような何か大きなことをやってのけたい」 と、そんな不純な動機がふつふつと、自分の体の内部から湧き起こってきたのです。

そうしたいくつかの複合的な動機があって、今から約11年前(2006年)の61歳の7月に、初めての外壁塗装を行う挑戦となりました。
塗装をし始めると、自分がイメージしていたことが、意外なほどその通りになり、やっていて痛快でした。
高い所は相変わらず恐怖でしたが、それほど疲れを感じませんでした。
むしろ、おかげで飯はうまいし夜はよく寝られるし、また心は晴れ晴れとなり爽快でした。

そして、何よりも近所の人々から高評を受けることが嬉しく、心中では「してやったり」の満足感で満たされていったのです。
おまけに、方々からおやつや飲み物は届き、お惣菜までいただけたので、私の虚栄心、目立ちたがり屋、競争心は満たされていったのです。
中には、その「大工事」をプロに任せず自分でやっていることに、心底呆れ顔を見せて嫉妬心をむき出しにした人もいました。
しかし、たいがいの人からは称賛と賛辞をいただける結果となったのです。

外壁塗装を7月にした理由

外壁塗装時期を7月に選んだ理由は、真夏に入る前なのでそんなに暑くはないこと。
また、その頃は比較的風が穏やかで、台風が少ない時期ですから、足場の倒れる心配がないこと。
もし、足場が倒壊したら、取り返しのつかない事故となりかねないので、それだけは絶対に避けなければならない、そのような理由からでした。

その判断は的確でした。
風の強い日はほとんどなく、梅雨の初期なので雨が少なく暑くもない。
作業は予定通り順調に運んで行ったのです。
風を何よりも恐れたのは、私の自宅が高台に立っているからです。

初めての外癖塗装は高台の家

私の自宅がある地区は、昔からいみじくも「風早地区」と呼ばれています。
そう呼ばれるほどに、地形的に風の通りが極めて強い高台の地区となっているのです。

我が家の2階からは、遠く西空に富士山が遠望でき、その向こうには神奈川県の丹沢山系までを見晴かすことが出来ます。
夏場は、余程湿気の少ない日でないと、富士山が見えません。
真夏には、墨田の花火を見ることも出来ますが、それは音が小さすぎます。
何か蚊取り線香のコマーシャルでも見せられているようで、あまりパッとしないのです。
そうした光景から、さらにレンズのズームを少し手前へ引くと、遠くの家と家との間に、何十秒間に過ぎないのですが、東武野田線の電車の走り去る姿が見えてきます。
夜間は、車窓の灯りの流れゆく姿が非常に綺麗です。

冬場は毎日といっていいほどに、朝には真っ白に雪化粧した秀麗な立姿が見えます。
夕方には、太陽が沈んだ真っ赤な夕映えのスクリーンを背景に、黒くてくっきりとした美しい方錐形のシルエットを浮かび上がらせるのが見えるのです。
うっとりとさせてくれます。
富士山の手前には東京の空が広がっていて、スカイツリーをも見ることができます。
そんなに大きくは見えませんが、夜のイルミネーションの明滅する姿が素晴らしく、大東京の近くに住んでいることの特権を実感することが出来るのです。

毎晩我が家の2階から見えるそれらの光景を見るたびに、私は思わずそれらの光が象徴する「今の平和な光景」がいつまでも続きますように、と祈らずにはおられません。
通り過ぎる電車の箱の中には多分、仕事で疲れて家路を急ぐサラリーマン、部活で遅くなって親の元へと急ぐ学生たち、孫のいる子どもの家から今戻りつつある祖父母たち、そうした色んな人たちが乗り合わせていて、それぞれが各々の人生を一生懸命に生きているに違いありません。
そう思うと思わず、いつまでもその電車が走り続ける平和な日本であってほしいと願わずにはいられないのです。

以前に、地元のお年寄りから聞いた話ですが、昭和20年3月10日の東京大空襲の夜には、この高台の場所から爆撃を受けている東京の空が赤々と燃え上がるのが見えた…東京がそんな処となっています。
私が滋賀で産まれた三か月目のその夜に、一晩にしておおよそ10万人の人が殺されていたのです。
ですから、電車を見送った直後に、私は必ず拍手を贈るようにしています。
ちなみに、その電車は今、名前を変えて「東武アーバンパークライン」と呼ばれるようになりました。ちょっとハイカラな横文字風となったのです。
東武アーバンパークラインの名前の由来は、古い病院の「看護婦詰所」が、その古ぼけた建物はそのままで、名前だけを「ナースステーション」と変えたようなニュアンスと思われます。

ですから、その東武アーバンパークラインに乗ったとしても、その沿線から眺める風景は、今も多くの田んぼや畑、そして森や林の多く残る相変わらずの田舎となっています。
私は現在もそんなところに住んでいるのです。
でも、そんなギャップが大好きです。

夕映えの富士山と丹沢山系 2階から見えた夕映えの富士山と丹沢山系(少しズームアップしています)

【外壁塗装をDIY】還暦記念、古希記念の奮闘記 全7話

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